第12回(最終回) 最後の言葉

DC嬢をやめた。

1ヶ月ほど前から、仕事がいやでいやでたまらなくなっていた。元々長くは続けられないとわかっていたけれど、限界は思ったより早くやってきた。

前号に書いたような今までの「もうダメ」期間とは明らかに違うことが、自分ではっきりとわかった。どんなに時間を置いても、私はもうこの仕事に戻ることはできないと確信したのである。

お客さんに対して嫌悪感を隠し通せなくなってきたとき、私は事務所にこの仕事をあがりたいと思っていることを伝えた。もちろん、そう思う理由も添えて。事務所側は止めた。「あなたは事務所にとって必要な存在だからできれば続けてほしい」と言われた。それでも私の意志が変わることはなかった。

いつもと変わらない平日。会社を定時に出て家に帰り、食事をして、着替えて、夜中になってから高級ホテルに向かった。

今までで一番つらく、長く、ばからしくて泣きたくなるような仕事をして、今までで一番たくさんのお金をもらい、送迎車がなくてひとりでタクシーに乗って家に帰り、その日以来私は風俗嬢ではなくなった。

ただのOLである春間玲花に戻ったのである。

風俗嬢として働いた数カ月。ふつうに生活していたのでは出会うはずもない、さまざまな人と知り合い、体をあちこちにぶつけながら真っ黒い世界を歩き、自分の心さえ理解できなくなった。なにもかも、生きている価値までも曖昧で苦しいものになりかけた時、私は、ここでやめなければいけないと、思った。

私は元々好奇心がかなり旺盛であるために、一度知りたいと思ったことはとことん調べ実際に経験しようとしてきた。風俗嬢になったのも、そういう理由が大きかった。けれど、今になって思う。世の中には知らなくてもいい世界が存在するのではないかと。

普段ベールに包まれている世界を知るのは確かに楽しいし、刺激を受けるし、それは、新しい考え方やアイデアを与えてくれるものだ。確かに私は、ほんの一部ではあるけれども、風俗の世界をこの目で見た。それは私にたくさんのものを与えてくれたけれど、同時に、たくさんのものが失われ、心も体もすり減ってしまった。

今だからわかる。私は明らかに心のある部分が麻痺していた。そして、DC嬢だった期間そのことに全く気付いていなかった。あるときその麻酔がきれて正常な心を取り戻したとき、そこには言葉では到底説明できない身をえぐるような痛みしか残っていなかった。

これほどたくさんの風俗嬢が存在しているのは、彼女たちが必要とされているからに他ならない。彼女たちを必要としている男性がいて初めてこの世界は成り立つ。立派なビジネスだ。それなのに、風俗嬢が世間に誉められることなんて、私の知っている限り、ない。

実際日本国内に存在する風俗嬢はかなりの数にのぼると思う。1日で辞めてしまう子もいるわけだから、元風俗嬢を入れたらその数は何倍にもなるだろう。そして、風俗嬢である(であった)事実を自分ひとりの中にしまっている人も、たぶんその辺にたくさんいる。有名大学にも、大企業にも。

過去の性的虐待などによるトラウマを抱えている子もいれば、エリート家系で育ち、ほんの少し歯車が狂っただけでこの世界から抜け出せなくなった子もいる。DC嬢以外の女の子とも知り合う機会はたくさんあった。どこからどう見ても普通のかわいらしい女の子なのに実はSM嬢だったり、まじめで明るい普通の学生だと思っていたら、実は複数のおじさまと愛人契約を結んでいたり、人間は本当に見た目じゃわからないなあ、と私はいつも驚いていた。一番驚かれていたのは私自身かもしれないけれど・・・。心のどこかが麻痺したまま仕事を続ける風俗嬢達を思うと、私の心はぎゅうと痛む。そして彼女たちの存在そのものを「痛い」と感じる。

そして私が強く思ったことは、男性が風俗に行くことは決して特別なことではない、ということだ。どんなにモテモテで女性に不自由していない人でも、どんなに素敵な彼女や奥さんがいる人でも風俗に行く。サラリーマンもホストもフリーターも学生も、芸能人もアーティストもみんな行く。風俗の経験がないという人はただ単に今まで行く機会がなかっただけだ。けれどたとえば自分の好きな人が風俗に行っていることがわかったら文句を言いたくなる女性の気持ちも、私は女だからわかる。でもほとんどの男性が一度は経験しているのは事実だし、風俗とはそういうもの。それを認めることができたなら、女性はすべての男性に対してもっともっと優しくなれるのではないかと思う。風俗に限らず、事実を「受け入れる」ことは生きていく中でとても大事なことだし、そうすることで人の心はどんどん穏やかになっていくもの、と私は思っている。

風俗嬢とは、風俗とはなにか。実際に自分で経験してみたものの、私は明確な答えを見つけることはできなかった。けれど、ひとつだけはっきりわかったことがある。それは、なにが「善」でなにが「悪」であるかは、誰にも決めることなんてできないということ。固定観念に捕われて、自分の人生の可能性を狭める必要はまったくないということ。どんどん失敗すればいい。どんどんかっこわるいことをすればいい。どんなに苦しいこともつらいことも傷付いたことも、時間が経てば少しずつ忘れていくのが人間だと思うから。

過去に認めたくない事実があったとしても、その時の自分がいて今の自分がいるということは、どうしようもない現実なのだ。だったらそこから目をそむけずに、過去の自分を全部認めてあげたいと思う。そしてそれを、これから生きるエネルギーにしていきたいと思う。

「痛み」は人を本当に優しくする。私にもいつか、穏やかな幸せがくると信じたい。
最後に・・・

メルマガを創刊する前は、こういうテーマだとけっこう批判がきてしまうかもと覚悟していたのですが、実際はあたたかい励ましのお言葉がほとんどでした。メールをくださったたくさんの読者の方々、お返事できなくてごめんなさい。でも、メールはひとつひとつきちんと読ませていただきました。4000人もの方に購読していただけたことが未だに信じられないのですが、誰にも話せない思いをこのような形で文章にできたことは、自分の気持ちを整理する意味でも、とてもよかったと思っています。

今まで購読していただき、本当に本当にありがとうございました。私の文章が、みなさんに何かを与えることができたなら幸いです。

2002.11.24

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