バイセクシャル“はるか” -大月はるか-

最も身近な異世界、新宿2丁目。そこを夜な夜な闊歩するバイセクシュアルの私。女の子同士の恋愛を体験して、今まで見えなかったものが見えてきた。あなたもこの異世界、ちょっと覗いてみませんか?

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05 差別
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03 踊るレズビアン(1)
02 初恋
01 2丁目ガイド

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『2丁目デビュー』

第6回

あの頃


 妊娠中に母体がストレスを受けたりすると、同性愛者や性同一性障害の子供が生まれてくるという説がある。実際、第二次大戦中に生まれた子供には同性愛者が多かったというが、どのくらいの確立なのかは定かではない。

 だけど私の知る限り、その起因は生まれつき派と、育った環境派、半々くらいの気がする。 幼稚園くらいから同性にしか興味がなかったという人もいれば、レイプされたのがきっかけで、男の人が怖くなったという人もいる。

 私自身は、環境派だと思う。とはいえ、同じ環境で育った姉はヘテロセクシュアルだから、私に生まれつきの素質があったのは否めないけれど…。

 私は父が嫌いだった。私の母は私が十歳の時に他界した。その後、数年たつと父は女の人をうちに連れてくるようになった。まだ私が十二、三歳の時だ。

 父の連れてくる女の人は何人もいて、みんなうちに泊まっていった。セックスしていた。うちの父もその女どもも、デリカシーのない奴らで、まだ私や姉が起きているうちから居間でやったりしていたのだ。だから、私は父が女の人を連れてくると自分の部屋から一歩も出ないようにしていた。それでも、トイレに行ったり何かのはずみにその光景を見てしまうと、吐いたりもした。あの頃が一番、泣いていた時期だと思う。

 そんな暮らしが何年か続いて、私はすっかり男と女の恋愛に夢をもてなくなっていた。中学2年の時に、私も初めて男の人とセックスをしたが、どうということはなかった。何も感じなかった。その頃、前に書いたように、女性に初恋をした。

 十代後半になると、私は家にはあまり帰らない生活を始めた。だから、父の嫌なところを見なくて済むようになった。だけど相変わらず、男と女の恋愛には魅力を感じられなかった。セックスしか頭にないような男と出会ったり、デートレイプなんかを経験して、ますます男の人が嫌いになっていった。だけど、その頃が一番セックスをたくさんしていた。軽いセックス中毒だったような気がする。

 私は、外見が軽く見られやすいのか、その頃、男の人にはセックスばかりを迫られていた。そして、迫られると簡単に足を開いてしまった。こんなことはもうやめよう、と決意して、誘われても抵抗することもあったが、結局はどっちでも同じだった。押し切られる形で、セックスはしてしまった。

 2丁目に夢中になっていた時期が、このあたりだ。女性との出会いや、女性との触れ合いは、私にとって救いみたいなものだった。同じセックスをするにしても、嫌がっているのを押し切られることもなかったし、安心できた。

 それでも、そんな安心感はつかの間のことで、次第に追い詰められて自暴自棄になった私は、死ぬことを考え始めた。前に出てきたセックスフレンドのカナちゃんにも恋人ができ、精神的にも肉体的にも満たされない時期だった。 それで、何故今も私が生きているかについては、次回書きたいと思います。 

2004.04.04

大月はるか

バイセクシャル“はるか”



 

 

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更新:2008.10.14
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